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  • 行動量が自分を変えた。足圧を広めるために私が続けたこと

    足圧を仕事として始めたばかりのころ、私にはまだ知名度も人脈もありませんでした。

    どうすれば一人でも多くの人に足圧を知ってもらえるか。

    毎日のように考えていました。

    足圧を習い始めてすぐ先生から踏む経験が必要なのでモニター募集をしましょうとなり200人を目標に。

    そこから認知度を上げていくために色々な店舗にチラシを置かせていただくように片隅から電話をかけまくっていきました。かなりやりすぎて覚えていないぐらい必死でした。

    そこからお店のチラシを自ら一軒一軒ポスティングしました。

    冬から夏までほぼポスティングをしていたのを覚えています。

    「自分から電話をかける」

    足圧を知ってもらうために、地域のお店にチラシを置いていただけないか、一軒一軒電話をかけました。電話をすることに慣れていなかったので、最初は緊張しました。

    断られることもありましたし鼻で笑われたこともありました。

    それでも、電話をかけなければなにも始まりません。

    店舗には約50件ほどチラシを置かせていただきました。

    ポスティングは15000件ほど配りました。

    息子と一緒にまわっている一枚の写真です。

    電話一本かける。

    お店に一軒訪問する。

    チラシを一枚配る。

    SNSで一度発信する。

    一つ一つは小さな行動でも、それを積み重ねることで少しずつ結果に繋がっていきます。

    やってみて感じたことや身についたことはやり方やこれでお客様が来るとかではなく熱意だったり姿勢だったり行動することで感謝のレベルが上がってきた感覚でした。

    ただいい出来事ばかりではなく断られている数の方が多かったのも事実です。チラシを置かせていただくのもあたりまえじゃないとおもいました。

    このチラシを見つけて来店してくださった方が来たときは本当に嬉しく思います。

    新規の方が来るとどんな出会いになるかなとかここから縁が繋がっていくというのを想像するとワクワクしていたのをおぼえています。

    今も大切にしていること

    現在も、足圧ボディケアhyuruchiを通して、1人でも多くの方に足圧を知っていただきたいという気持ちは変わりません。

    これからも地域のお客様とのつながりを大切にしながら、足圧の魅力を発信していきたいと思っています。

    将来的には、日本だけでなく海外にも足圧を広めていきたいと思っています。そのためにも、これまで積み重ねてきた経験を大切にしながら、これからも自分から行動していきます。

    大きな結果を出すために特別なことをするのではなく、まず目の前にある小さな行動を続ける。

    私にとって「行動量」とは、単に沢山動くことではありません。

    自分が実現したい未来に向かって、一歩づつ進み続けること。

    これからもその姿勢を忘れず、足圧を必要としている方に届けていきたいと思います。

  • 決めたからこそ、出来事が起こり始めた

    私が足圧を始めてから、少しずづ自分の人生が変わっていきました。

    最初から大きな目標があったわけではありません。

    「足圧をもっと上手くなりたい」

    「一人でも多くの人に足圧を知ってもらいたい」

    そんな気持ちから、一つずづ経験を積んできました。

    足圧を学ぶためのアカデミー

    3級、2級、1級とありトータル150時間のスクールを受けていきます。試験合格すると足圧1級師としてスタートできます。

    ノートに書いていた目標

    当時、私は自分がやりたいことや目標をノートに書いていました。そのなかに、少しずづ具体的な出来事が増えていきました。先ず決まったのが、足圧を学ぶための沖縄合宿が決定。

    そして、その後にフランスで開催される足圧フランススクールへの参加も決定しました。

    まさか自分がフランスで足圧を学ぶことになるとは、最初は想像していませんでした。

    師匠からフランス行きますか?と連絡がきて1秒で行きますと返信。正直お金もほんとに無かったですが直感とこのタイミングで行かないと次はないという気持ちだけで決めました。

    お金が貯まってからではなく、まず決める

    私はこれまで「お金が貯まってからやろう」と考えることがありました。

    しかし、それではいつまで経っても行動できないことがあります。もちろん無理をすることが良いという意味ではありません。

    大切なのは、自分が本当にやりたいことを明確にして、そのためにはどうすれば実現できるのかを考えることだと思っています。

    フランスに行くと決めたことで、そこから準備や勉強、仕事への向き合い方も変わっていきました。

    そして実際にフランスへ行き、現地の方々に足圧を伝えるという貴重な経験をすることができました。

    「決めるから、行動が変わる」

    この経験を通して私が感じたのは、「決めるから、そこから出来事が起こり始める」

    ということです。

    目標を決めたからといって、すぐにすべてがうまくいくわけではありません。

    途中で悩むこともあります。

    思ったように結果が出ないこともあります。

    それでも、目的地を決めて一歩踏み出せば、今まで見えていなかった人との出会いや、新しい経験につながることがあります。

    足圧を始めたことで、私の世界は少しずづ広がりました。

    現在は日本でお客様に足圧を提供しながら、将来的には海外にも足圧を広めていきたいと考えています。

    これからも、やりたいことをただ頭の中で考えるだけでなく、まず自分で決めて、一歩ずづ行動していきたいと思います。

  • 古民家から足圧!?

    私現在足圧という整体業をやっているのですが以前は教習指導員の仕事をしていました。どうやって足圧に出会ったのかというと元々は足圧のお客さんでした。施術中にたまたま将来の話しになり古民家に住んで田舎暮らしがしたいと口に出すと近くに古民家を自分で作ってる人がいるとお聞きしすぐ紹介していただきました。

    その後私は先生に連絡をし古民家にいくことになりました。

    そのときは足圧をやろうとも思ってもいませんでした。

    その後先生から足圧の話を聞きましたが足圧ではなく足圧を取り入れることで人生が変わる話しに魅力を感じました。

    喜ばれる仕事だったり時間の自由さがお勤めよりあることだったり一番は子供との時間が増えることがいいなと思い足圧をやることに。

    私はなにかをするとき先ずはやってみることを意識しています。

    ただ考えずにすぐやるクセがあるので失敗も多いです。

    それでいいと思っています。

    どれだけでもやり直せると思っているからです。

    一つの軸にあるのは人生一回きり悔いないように生きる。

    親からもらった命を無駄にしないことです。

    時間=命なので時間を大切にしていきたいですよね。

    ちなみにこれもノートに書いたことでそのような人と出会ってます。それが今の私の足圧の師匠にあたります。

    これが古民家から足圧という以外なところからのやるきっかけでした。

    皆さんにお伝えしたいことは

    1 人に会ってみる。

    2 きっかけは自分から作る。

    3 今日まずなにかやり始めてみる。

    できる、できないは置いておく。

    例えば水を飲むのは難しいですか?ごはんを食べるとき箸使うの難しいですか?まず体内に入れないと死んでしまうので方法を考えて手段を考えて絶対やろうとしますよね?

    赤ちゃんのときは難しかったかもわかりませんが人間は何回も繰り返していくうちにコツが分かってきたり扱い方が分かってきます。大人になると思い込みで勝手にできない理由を並べてやらなくなってしまう。人は成長するにつれて経験や知識が増える反面、脳の守りが強く働くようになるからです。

    これを悪いように捉えるのではなく人間の正常な防衛本能だと思っていただいたらいいかと思います。

    ただ私が大事だと思うのは好奇心や好きになることです。

    私はこの好奇心をうまく使っています。

    人は何かを決めるときにこれやりたいとなってから5秒たつとお金もかかるし失敗しそうと考えやめておこうとなるそうです。

    なのでわたしはすぐ決めるクセを意識しています。

  • ノートに書く

    私はある日からノートに自分の本当にやりたいことや何年後こうなっているなど本音をそのまま書くことにしました。

    やってきた記録簿

    頭の中だけで考えている希望や理想は、日々忙しく過ごしていると、いつの間にかぼやけて消えてしまいがちです。だからこそ、誰に見せるわけでもない一冊のノートを開き、自分の心の内側に

    ある「本当の感情」を飾らない言葉で吐き出す場所を作るようにしました。

    実際にノートへ書き出したリストの一部をご紹介します。

    1古民家を購入し田舎暮らしをする。

    2フランスに移住する。

    3家族で沖縄に行く。

    4ベトナムに行く。

    5コミュニティを広げる。

    6足圧指導者になりフランスで活動する。

    7サウナを購入し沢山の人に喜んでもらう。

    8フランスの人と繋がりを持ちワインを飲んだり交流を深めている。と書きました。

    *今叶っているもの

    ・古民家が手に入った。

    ・フランスにいってフランス人と繋がれた。

    ・家族で沖縄にいった。

    こうして文字にして並べてみると、自分がどんな生き方をのぞんでいるのかが明確に浮かび上がってきます。

    古民家でのゆったりとした田舎暮らしや、サウナを通して人々が心身ともに整い、笑顔になれる場所をつくること。家族と一緒に沖縄の温かい空気やベトナムのエネルギーに触れる旅に出ること。そして、自分の手掛けた「足圧」の技術や魅力を指導者として磨き上げ、国境を越えてフランスという地で多くの人々に届けていくこと。

    書きかいた時点では「少し壮大すぎるかもしれない」「本当に実現できるのだろうか」と思うような目標もあります。しかし、ノートに思考をアウトプットする行為には不思議な力があります。頭の中の抽象的なイメージが、文字という視覚的な形に変わることで、ただの「願望」から「現実的な目的地」へと意識が変わっていくのです。

    これらの書いたものが実際に叶ったことです。

    全て今の仕事の足圧を取り入れてから叶いました。

    沖縄に行きたいと思っていたら今回の足圧合宿が沖縄。(笑)

    次にフランススクールが決定したり。

    なので思うことや口に出していうことや書くことはかなりオススメしたいです。叶う叶わないは別で人はそのようにすると意識しだしたり叶えるために今なにができるかどんな人と会って話を聞こうとするかなど行動が明確になると思います。一番大事なことは自分自身がワクワクすることです。

    大事なのはそのときにふってきたものやありのままで書くのが大切です。是非一度ノートに書いてみてください。

  • 誰と出会うか

    人生を大きく左右するのは、何を選ぶか以上に「誰と出会うか」なのかもしれません。今回は私がそのような出来事が起こった内容を綴っていきたいと思います。

    過去の自分を振り返ってみると、一つの出会いがきっかけで視野がパッと広がり、それまでの自分なら絶対に選ばなかった方向へ歩み出した瞬間があります。自分1人で考えているだけでは気づけなかった可能性や、思い込みの枠を壊してくれるのは、いつも誰かの背中でした。

    もちろん、すべての出会いが自分にとって心地よいものばかりとは限りません。しかし、「どんな人から刺激を受けたいか」「誰の考え方を取り入れたいか」を意識し、自分の感覚に素直に行動していれば、必然的に素晴らしい出会いが引き寄せられていくとおもいます。

    ある日、同級生から電話がかかってきて一回セミナーにおいでよと誘っていただき私はなにかを変えたいと思っていたためとにかく行動しようと思い行ってみることに。

    話しを聞いていると今までに聞いたことがないワードがでてきたり狭かった視野が広くなった感覚でした。

    そこから今もそのときに講話してくださった方とお付き合いさせていただいております。

    私がこのときに思ったのが無知ほど怖いものはないと思いました。知識、情報が大切ですがただ条件があると思います。

    1 正しい情報をとる。

    2 誰から聞くか。(経験した人)

    インプットして終わりではなくすぐ行動に移す。

    メンターとの出会いで徹底的に思考考え方を学びました。

    常に電話をして話を聞く、常にそばにいることを意識しました。

    人は環境動物でどの環境にいるかでその影響を受けて常識になるものだと思います。

    例えば、不良の集団に1年いたら言葉も服装もみためもその色に染まりますよね?それと同じで今までの環境で今の自分自身を作り出していると思います。

    もしなにか今の自分を変えたい、今の環境を変えたいのであれば誰に出会えるか自分でこうなりたいこんな人と出会ってみたいと思い続けたらきっと目の前に現れていると思います。

    スピリチュアル的なものではなく人は意識したものはその情報を取ろうとしたり目に入ったりするものです。

    車でも赤のランボルギーニがほしいと思っていたら目に入ってくると思います。

    私はそのような経験を沢山してきました。

    ただ、よく見極めないといけないのも事実だと思います。

    誰でもいいというわけではなく本質をみる見抜く力が必要ですね。

    私が出会ったメンターからこの本を読んだほうがいいと教えてくれた一冊です。これからどのように生きていきたいか迷っている人に届けたい一冊です。

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  • 人生の迷いと転機|10回以上の転職を経て見つけた「自分らしい働き方」

    高校を卒業し、三重中京大学に入学しました。大学には、四中工サッカー部の名監督だった城雄士先生が総監督としていらっしゃったり、当時はサッカーに情熱を注ぐ日々でした。

    サッカーを続けるも怪我や家庭の事情で大学を中退することに。

    その後は目標もなくなり頭が真っ白になりました。そこから就職するもなにもかも続かず転々としなにもしない時期もありました。おそらく10回以上は転職していると思います。道をさまよっているような感覚でした。

    私が23歳のとき今の妻に子供ができふらふらしていられなくなりちゃんと働き続けるように。ここが一つの分岐でした。

    3年ほど働いていたもののまた転職し自動車学校の教官に。

    10年ほど働いていましたが私の中ではここの会社でいろんなヒントを頂いたと思っています。

    まず感じたことは労働時間の長さ毎月入る決まった枠での収入、人間関係そこにのしかかるストレスとの闘いでした。

    リアルな話をします。

    私26歳ぐらいから32歳になるまでの6年間毎日家計簿をノートに書いていました。気がくるったかとおもいました。

    毎月収入はそこそこあるのに月末は通帳がマイナスになっていました。そのときにふと思ったことがありました。

    これあと40年続けるのか?と。

    ゾッとした私はすぐなにか副業はないかとか固定費の見直しなど調べては修正しての日々を重ねていました。

    あとは本を読み知識をつけようと思いました。

    そこで出会ったのが「両学長のお金のお金の大学」に出会いました。

    当時本当に無知だった私だったので一人で考えず人に頼ってみようと思い沢山の人に連絡しまくりました。

    そこからある一人の連絡からガラッと私の人生が変わり始めました。

    続きは環境や誰と出会うかで人生が変わっていく話をしたいと思います。

    お金のことを学びたい方は一度「お金の大学」を読んでみてください。私はこの書籍で助けられてきました。

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  • 走って、泣いて、叫んだ。高校サッカー「最濃の3年間」

    私のサッカー人生のなかで一番濃かったストーリーをお話しします。おそらくひくぐらいの当時の練習量や上下関係、目の当たりした人にしかわからない裏側の部分もお話ししていきたいと思います。

    私は中学を卒業し三重県のサッカー名門校である四日市中央工業高校に入学しました。四中工サッカー部というとプロサッカー選手を何人も輩出してきた歴史ある名門校です。

    私はサッカー選手への夢に近づけると思うとワクワクが止まりませんでした。

    しかし、高校に入りすぐ練習をすると先輩の上下関係の厳しさや地獄のような走り込みや練習量に心が折れそうになりました。

    当時全国の選手権に出ていた選手もいてその選手たちと一緒に練習ができていることが信じられませんでした。

    やっぱりプロを目指している高校は違うなと思いました。

    練習の前はグラウンド整備で石拾いからはじまります。雨の日は水たまりをドロドロになりながらスポンジで吸い取る作業の日々でした。

    練習後のシャワーや洗濯なども1年生が一番あとなどルールがあり厳しい練習にプラス先輩の厳しい上下関係で楽しさは一切ありませんでした。

    合宿では真夏にある砂丘合宿というのがありボールを一切使わず砂丘で走り込み、合宿場で夜みんなで輪になり筋トレだけという地獄の合宿がありました。

    筋トレは1人づつカウントしていきますがテンポが遅れたらまた1からやり直しという過酷な合宿がありました。

    まだまだ地獄のような練習があり真夏に80分2試合ほどした後100m100本ダッシュという四中工サッカー部のなかで有名な練習がありました。

    皆さん想像してみてください。35℃の真夏に試合を2試合トータルで160分。しかもスパイクの中が熱気で熱く足裏が火傷のように痛みもありそこから100mダッシュ100本全力疾走。

    一人でも走るペースが遅くなるとカウントされず100本までが遠く感じました。この要素も自分だけが走りきることだけではなくチームで走りきるという要素が入っている練習メニューでした。

    そんな過酷な練習をチームで乗り越え2年生になりトップチームに選ばれました。そこからの練習はまた別格のメンバーの環境化の中でやることになり本当に夢のような時間でもありました。

    その時の時代は四中工サッカー部は全国大会に出場するも滋賀県代表の野洲高校に負けてしまいました。ちなみにこのときの大会の優勝したチームは野洲高校で元日本代表乾選手がいました。

    そしていよいよ3年生になり最後の1年になりました。

    私はトップチームに残留するものの最後の最後でサッカーをするのが嫌になりなにをするにも気力なかったときがありました。病院で診察を受けることに。

    結果「燃え尽き症候群」で休養を取るようにと診断され6ヶ月間ほど練習も学校も行かない時期がありました。樋口士郎監督と母親と面談をし「士郎監督から哲矢を期待していた。非常に残念やけど前から元気がなかった」

    と心配されていたようです。

    冬の最後にはトップチームから外れすごく悔しい想いを経験しました。なんのためにやってきたのか現実を受け入れることができませんでした。母親にも申し訳なくも思いました。

    最後は全国大会に出場するも1回戦敗退。

    3年間の経験や想いがこみ上げ涙がとまりませんでした。

    高校3年間で得れたものはまず挨拶ができる人になる。感謝をする。仲間で一つの目標や達成に向かって進んでいけれるかなどサッカーを通じて得れるものだったと思います。

    苦しい経験や失敗が沢山あったからこそ人の痛みがわかり相手の立場に立って物事が考えられる人間になっていくものだと思います。人って正直成功話とか興味ないと思います。

    どんな経験をしてきたのかどん底の死ぬかもわからない瀬戸際の話のほうが心が揺れ動くと思います。

    この内容を見て私もまだまだできる、気持ちが楽になったあなたの話で命が救われたとなってもらえたらそれは私にとって嬉しいことですし決して無駄はなかったなと思えます。

    この続きは大学生からの挫折ストーリーを綴っていきます。

  • サッカー少年だった私が、身体と向き合うようになった中学時代

    私にとって中学時代は、心も身体も大きく変化した時期でした。

    小学校を卒業して中学生になると、サッカー部に入り、毎日のようにグランドでボールを追いかけていました。

    当時の私は、サッカーが大好きでした。

    特に好きだったのは、ドリブルです。

    自分の身体をどのように動かせば相手を抜けるのか、どうすれば自分の得意なプレーをもっと伸ばせるのか。

    そんなことを考えながら、毎日の練習に取り組んでいました。

    身体が小さいことがコンプレックスでした。

    中学1年生から上級生と一緒にトップチームの試合に出場する機会がありました。

    ただ、当時の私は身体が小さく、3年生の選手と比べると体格ではかなわないこともありました。

    「身体が大きい選手にはどうすれば負けないのか」

    そんなことを考えるようになりました。

    そこで意識したのは自分の長所を伸ばすことでした。

    身体の大きさでは勝てなくてもドリブルや足の速さなら自分にも武器がある。

    そう考えて、自分の得意な部分を磨き続けました。

    当時私が憧れていた選手はアルゼンチン代表のアリエル・オルテガ選手に憧れていました。この選手は体は小さいもドリブルやテクニックが上手い選手でした。

    中学3年生のときに2002年日韓ワールドカップが開催された時期でした。皆さんご存じだとは思いますがこの時代イングランド代表のデイビットベッカム選手が話題になりました。

    甘いルックスやモヒカンヘアで日本中が盛り上がったと思います。

    この選手を見たときにベッカムみたいなプレースタイルを「真似したい」と思った瞬間がありました。

    サッカー詳しい人はわかるかと思いますがとにかくフリーキックやクロス、キック制度が高い選手です。

    ボールをキックする姿を見て美しく感じこのような選手になりたいと思いました。

    そこからひたすらベッカムの蹴り方をほぼ毎日ビデオを見てスローモーションにしてどこで蹴っているのかとか細かく研究するようになりました。

    私が中学3年の年に練習中に大きい怪我をしてしまいました。

    スライディングをした際足が変な方向に曲がってしまい膝の靭帯を損傷してしまいました。そこから3か月ぐらいはサッカーができず悔しい時期をすごしました。スポーツは怪我をすると致命的だなと思った瞬間でもありました。

    中学時代の結果は3年生の時に個人では三重県選抜に選ばれ、チームではコカコーラカップ三重県大会では準々決勝まで勝ち上がりることができました。

    中学時代は実はサッカーの道から外れそうになったことも。

    中学2年生の私はとにかくやばかったです。

    不良の集まりにもいた影響でたばこは吸うはピアスあけるは窃盗するは真夜中に小学校の屋上にのぼりオイルをばらまき火をつけ遊んでいたり今思うとやばいことをしていたと思います。

    でもどこかにサッカーをもっと本気でやりたいと思っていたのですぐに環境を変えることができました。今思うとスポーツのおかげで助かったなと思う反面、やんちゃなことを経験しておいて良かったと思います。

    不良って実は孤独で寂しがりやな子が多いと思います。

    集団を作り仲間意識が芽生え自分自身の抑えていたものを発散できる場だったりときには助け合うこともある人たちだと思います。

    本当は優しい心を持っていると思います。

    そんな中学時代も終わり、これからどこの高校に入るかという進路を決めるとき私は迷いなくサッカー名門校である四日市中央工業高校に入る一択でした。

    ここからさらに沢山の挫折、濃い3年間のストーリーを綴っていきたいと思います。

  • サッカー選手という夢

    小学生時代の写真

    私は小学5年生~大学1年生の約9年間人生のすべてを捧げて、夢中でサッカー選手になるという夢を追いかけてきました。

    9年間のサッカー生活で直面した困難と挫折

    サッカーを始めた思いがけないきっかけ

    私がサッカーをやるきっかけは近所の方から息子がサッカーをやってるから一緒にやらない?と言われた一言からでした。

    しかし、私は野球がやりたいと思っていたためサッカーをやるなんて1ミリも思っていませんでした。

    母親に野球がいいと言ったところ「あかん!野球はダサい。サッカーやってるほうがモテる!」という理由だけで反対されました。

    私はいやいや地元のサッカー団の見学に行くことに。

    行くと見学だけかと思っていましたがコーチからボール蹴ってみな。といわれ私はボールを蹴りました。

    その瞬間から私のサッカー人生が始まりました。

    そこからサッカー少年団に入り毎日サッカーづけの日々。

    小学生時代の写真

    暑い日も寒い日もグラウンドにきてボールを蹴る日々。

    当時私は外で遊ぶよりゲームが好きな少年でした。

    なんで暑い日にグラウンドで練習しないといけないのと思っていました。

    ある日急にコーチから一回試合出てみよか!と言われ初となる試合に出ることに。

    なんとその試合で14点も決めコーチ陣が驚き笑いが止まらなかったそうです。その後私はすぐトップチームに入ることができ先輩たちと練習をすることになりました。

    サッカーをやっている写真

    トップチームに入るも先輩が厳しく怖い印象がありました。

    でもいま思うと上を目指している環境でできたからどんどん上達できたと思います。

    やっぱり環境は大事だと思います。

    私が小学6年生のときに保護者と代表と亀裂がはしり所属していた少年サッカー団がなくなる話しになりました。

    このときがまず初めの苦労した出来事でした。

    私はサッカー選手という夢を持っていたため絶対になくならせたくないと思い1人でもグラウンドにきて練習をしていました。

    コツコツやっているとまた集まるようになり復活しました。

    またみんなでサッカーができると思うと嬉しくてしかたありませんでした。

    1つ上の代は最後の大会で優勝したものの私の最後の大会では1回戦敗退という悔しい結果で終わりました。

    小学生時代はサッカー団がなくなっていたらサッカーをやっていなかったかもしれない、あのときに諦めずにやり続けたからサッカーを続けることができたと思います。

    私が思うのはなにか1つでも熱心にできることがある,

    好きなことがあるのは本当に強いとおもいます。

    その中に苦い経験や、人間関係の問題は付き物だと思いました。

    この続きは私が中学生のときの出来事や経験したことを綴っていきたいと思います。

  • 「幼少期の思い出と家族の環境」

    幼少期の写真

    私が生まれて月日が経ち7歳を迎えるころ両親が離婚しました。

    そこから私は母親側の実家に身を寄せ、祖父母のもとで生活を送ることになりました。

    父親がいなくなった分、母親は「子供たちを強く育てないといけない」という強い決意を持っていたようです。一方で、一緒に暮らした祖父母は心優しく、争いごとや揉め事をなによりも嫌う人たちでした。

    【代々受け継がれてきた価値観】

    そんな我が家には、先祖代々で大切にされてきた言葉があります。

    「悪い出来事も、すべていい方向に捉える」

    この言葉を大切にしてきている家庭でした。

    一見するとつらいシチュエーションであっても、見方を変えれば成長の機会や感謝のきっかけになる。家族は常にこの考え方を大切にしていました。家族環境の変化という大きな節目において、祖父母や母親が示してくれたこの柔軟で温かい価値観は、幼かった私の心を深く支えてくれました。

    「この経験から伝えたいこと」

    環境の変化や予期せぬ出来事に直面すると、人は誰しも不安になります。しかし、「起こった出来事をどう捉えるか」は自分自身で選ぶことができます。

    祖父は一緒にキャッチボールをしてくれたり海にいって魚釣りに連れていってくれました。

    母親は病気をもっていたため仕事もバリバリ働けたわけではありませんでした。

    祖母はバリバリ働いていたためほぼ私の家計は祖母のおかげで成り立っていました。

    けして裕福な家庭ではありませんでしたがここまで成長できたのも家族があったから幸せに暮らしてこれたと思います。

    幼少期の写真

    これが私を育ててくれた家族です。

    最後まで読んでくださった方に一つだけお伝えしたいことがあります。

    あたりまえになった瞬間感謝ができなくなります。何気ない日常に幸せを感じてみるといいと思います。

    寝れる場所がある、呼吸ができている、話すことができる、目で色々感じれるなど五感を感じれるとあたりまえが感謝でき幸せに感じると思います。

    生きていることだけでもすごいことで母親から生まれてきた唯一1人としての価値ある存在であるということです。

    更には人になにかを与えることができればその時点で素晴らしいことだと思います。

    私がこの環境で育ったからこそ感じているのは、どんな逆境であっても「前向きな解釈」を選ぶことで、人生の歩み方は大きく変えられるということです。この記事が、今何か悩みを抱えている方にとって、少しでも心を軽くするヒントになれば幸いです。

    この続きは私が唯一集中できたもの人生の半分はその時間に費やしてきたもので何が得られたかを綴っていきたいと思います。