私のサッカー人生のなかで一番濃かったストーリーをお話しします。おそらくひくぐらいの当時の練習量や上下関係、目の当たりした人にしかわからない裏側の部分もお話ししていきたいと思います。
私は中学を卒業し三重県のサッカー名門校である四日市中央工業高校に入学しました。四中工サッカー部というとプロサッカー選手を何人も輩出してきた歴史ある名門校です。
私はサッカー選手への夢に近づけると思うとワクワクが止まりませんでした。
しかし、高校に入りすぐ練習をすると先輩の上下関係の厳しさや地獄のような走り込みや練習量に心が折れそうになりました。
当時全国の選手権に出ていた選手もいてその選手たちと一緒に練習ができていることが信じられませんでした。
やっぱりプロを目指している高校は違うなと思いました。
練習の前はグラウンド整備で石拾いからはじまります。雨の日は水たまりをドロドロになりながらスポンジで吸い取る作業の日々でした。
練習後のシャワーや洗濯なども1年生が一番あとなどルールがあり厳しい練習にプラス先輩の厳しい上下関係で楽しさは一切ありませんでした。
合宿では真夏にある砂丘合宿というのがありボールを一切使わず砂丘で走り込み、合宿場で夜みんなで輪になり筋トレだけという地獄の合宿がありました。
筋トレは1人づつカウントしていきますがテンポが遅れたらまた1からやり直しという過酷な合宿がありました。
まだまだ地獄のような練習があり真夏に80分2試合ほどした後100m100本ダッシュという四中工サッカー部のなかで有名な練習がありました。
皆さん想像してみてください。35℃の真夏に試合を2試合トータルで160分。しかもスパイクの中が熱気で熱く足裏が火傷のように痛みもありそこから100mダッシュ100本全力疾走。
一人でも走るペースが遅くなるとカウントされず100本までが遠く感じました。この要素も自分だけが走りきることだけではなくチームで走りきるという要素が入っている練習メニューでした。
そんな過酷な練習をチームで乗り越え2年生になりトップチームに選ばれました。そこからの練習はまた別格のメンバーの環境化の中でやることになり本当に夢のような時間でもありました。
その時の時代は四中工サッカー部は全国大会に出場するも滋賀県代表の野洲高校に負けてしまいました。ちなみにこのときの大会の優勝したチームは野洲高校で元日本代表乾選手がいました。
そしていよいよ3年生になり最後の1年になりました。
私はトップチームに残留するものの最後の最後でサッカーをするのが嫌になりなにをするにも気力なかったときがありました。病院で診察を受けることに。
結果「燃え尽き症候群」で休養を取るようにと診断され6ヶ月間ほど練習も学校も行かない時期がありました。樋口士郎監督と母親と面談をし「士郎監督から哲矢を期待していた。非常に残念やけど前から元気がなかった」
と心配されていたようです。
冬の最後にはトップチームから外れすごく悔しい想いを経験しました。なんのためにやってきたのか現実を受け入れることができませんでした。母親にも申し訳なくも思いました。
最後は全国大会に出場するも1回戦敗退。
3年間の経験や想いがこみ上げ涙がとまりませんでした。
高校3年間で得れたものはまず挨拶ができる人になる。感謝をする。仲間で一つの目標や達成に向かって進んでいけれるかなどサッカーを通じて得れるものだったと思います。
苦しい経験や失敗が沢山あったからこそ人の痛みがわかり相手の立場に立って物事が考えられる人間になっていくものだと思います。人って正直成功話とか興味ないと思います。
どんな経験をしてきたのかどん底の死ぬかもわからない瀬戸際の話のほうが心が揺れ動くと思います。
この内容を見て私もまだまだできる、気持ちが楽になったあなたの話で命が救われたとなってもらえたらそれは私にとって嬉しいことですし決して無駄はなかったなと思えます。
この続きは大学生からの挫折ストーリーを綴っていきます。
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